この一冊・本誕生のドラマ

ほかの本

●実測術
●エドゥアルド・トロハの構造デザイン

「水辺から都市を読む」陣内秀信・岡本哲志編著 発行:法政大学出版局 A5判450頁 4,900円 

●都市を訪ねるのに、船で海からアプローチすることほど、心が踊ることはない。鉄道や飛行機が発達する前は、多くの旅人がそんな感動的な体験をしながら、海から都市へと入ったのだ。だが、現代人はそれをすっかり忘れてきた。

 そもそもヴェネツィアの都市史から自分の研究をスタートさせた私にとって、海からの視点で都市を考えることは、ごく自然なことだ。とはいえ、20年以上前に東京の研究を開始した当初は、そんな発想はもてなかった。

 幸い、瀬戸内海の小さな島の出身の学生と水上バスに乗った際に、彼の口から出た「町は海からアプローチするものですね」というさりげない一言が、私の目を開かせた。なるほど、そうすれば東京のような都市も面 白く見えてくる。以来、「海から都市を見る」ということが、私の一つの重要なテーマになった。

 港町には歴史のロマンがあり、歩いて楽しい空間が潜んでいる。海や自然との共生の重要性も教えてくれる。それを身体で感じるために、我々はフィールドワークをベースとして都市調査を行ってきた。現地に実際に行って、できるだけ船をチャーターし、海や川の水の側から都市を観察し、港にアプローチするというのが、我々の研究の特徴だ。

 21世紀には、舟運がまた見直されるだろう。緊急時を含め、日常的にも船を活用する可能性が日本でも広がるに違いない。交通 渋滞を呈しているバンコクでは、水上バスが救世主となっているし、ニューヨークやイスタンブールでは、船が通 勤に活発に使われている。ゆとりあるライフスタイルが広がれば、実用に加え、文化的な用途や遊びに船をより広く使う時代がくるであろう。(陣内秀信「序論」より)

目次

序 論 第一部 ヨーロッパ編 ●オランダの港町  ホールン・アムステルダム●イタリアの水辺都市  ヴェネツィア ・ブラーノ島・キオッジア・トレヴィーゾとシーレ川

第二部 アジア編●中国 蘇州・周庄・同里●タイ バンコクの水辺空間

第三部 日本編●一乗谷・福井  三国・酒田・大石田●瀬戸内海の港町  庵治 ・尾道 ・鮴崎・御手洗・鞆・笠島・下津井・牛窓・柳井●伊勢湾の港町  大湊・神社●知多半島の港町  内海・大井・亀崎・半田

■■■■ 書 評 ■■■■(日経新聞 2002.8.12掲載)

舟運通して21世紀の都市像示す(東京大学教授 藤森照信)

 21世紀は、20世紀が近代化の過程で思わず知らず喪ったものの回復、ルネサンスの時代となるだろう。喪ったものの代表は自然と歴史の二つ。自然をさらに分けると水と緑。

  水辺の都市こそ、21世紀に回復されるべきものの表舞台にちがいない――という今日では多くの街づくり関係者がもつ認識に、30年近く前、日本ではじめて気づいたのが当時大学院生の陣内秀信だった。今からふり返ると、世界でも最も早いひとりといっていい。岡本哲志を若頭とするグループを結成し、まず取り組んだのが東京で、その成果 は名著『東京の空間人類学』(一九八五年)にまとめられ、当時の"東京論ブーム"の熱源となり、"ウォーター・フロント開発"の理論的裏付けの役をはたしている。以後、日本各地と世界へ足を伸ばし、気がつくと世界の水辺の都市を知るただ一つのグループにまで成長していた。

  そうしたフィールドワークの成果 が、この一冊に込められている。日本なら瀬戸内や日本海や伊勢湾沿岸の尾道、牛窓、酒田、三国、半田などの港町、中国なら江南の水郷、東南アジアのバンコク、地中海のヴェネチア、オランダのアムステルダムといった34の水辺の都市を巡りながら、手のかかった豊富な実測図面 と写真と解説によってそれぞれの歴史と魅力と現在の問題を語ってゆくのだが、.巡りつつ語りつつゆくなかで、視点がしだいに成長してゆく。

「ウォーターフロント・ブームが、やはり陸側の論理で水辺を見て、快適な空間を整備することで終わってしまったことへの反省がまずある。水辺だけに目を向けていたのでは限界がある。港町の全体の歴史的な形成の論理を知り、その空間を現代的な視点で評価したい。しかも、海からの視点で。そう考えた時に、〈舟運〉が浮上する」

  舟運は、飛行機や車にくらべ宿命的に遅い(スロー)のだが、そこにこそ水辺の都市の秘密が隠されている。陣内グループは、今、"スロー・シティ"という21世紀の新しい都市像の門口に立っているのである。(東京大学教授 藤森照信)